不登校の子に対して「見守りましょう」「待ちましょう」と言われて、私はそれができる気がしませんでした。
「待つ」って実際にどうしたらいいのか、最初は全然わかりませんでした。
何もしないことへの罪悪感と焦りがあって、ただ待つことができなかった。
今振り返ると、私が「何もしないでいられなかった」のは子どものためだけじゃなかったと思っています。
「待つ」と「放置」は違う
今ならはっきり言えます。
待つことは、子どもの様子を見ながら無理強いせずにサポートしていくこと。
無理に制限したり、こちらから聞き出そうとせずに、話してくるのを待つことです。
放置することは、関心を持たずに子どもに任せきりにすること。
言葉は似ていますが、子どもに関心があるかどうかで全く違います。
「何も言わない」ことが同じでも、気にかけて見ているのか、ただ距離を取っているだけなのかで子どもに伝わるものは全然違います。
不登校になる前、私は放置していた
不登校になった後の私は、待つでも放置でもありませんでした。
焦って、やりすぎていた。
でも不登校になる前は、正直に言うと放置に近かったと思います。
息子は「クラスの子がちょっかいをかけてくるのが嫌だ」と言っていました。
でも私は本気で受け止めきれなかった。
「学校に話しに行こうか」と聞いて「いらない」と言われて、それで終わり。
それ以上、踏み込まなかった。
「本人がいいって言ってるから大丈夫」
そうやって、自分を納得させていた部分もあったと思います。
娘に至っては、不登校になるまで何も気づけませんでした。
今思うと、はっきりしたサインがなかったというより、普段からちゃんと見ていなかっただけだったと思います。
「何もしないでいられなかった」本当の理由
不登校になってから、私は何かしていないと落ち着くことができませんでした。
原因を探したり、問い詰めたり、ゲームを制限したり。
「子どものため」と思っていたけど、違いました。
私は怖かっただけでした。
子どもが不登校になったのは自分のせいなんじゃないか。
周りからダメな母親だと思われているんじゃないか。
このまま何もできなかったら、取り返しがつかなくなるんじゃないか。
その不安に耐えられなくて、「何かしている状態」を作っていた気がします。
そして、何かしているときは不安を紛らわせることができたから、じっとしていられなかったのかもしれません。
でもそれは、子どもにとってはプレッシャーでしかなかったと思います。
「待つ」ことの難しさ
頭では「待つことが大事」とわかっていても、実際に待つのはとても難しいです。
周りの子は学校に行っているのに、うちの子だけ止まっているように見える。
登下校をしている子どもたちが楽しそうにしているのを見るのがたまらなく辛かった。
今頃本当だったら私の子もあの輪の中にいたのかなと考えていました。
時間だけが過ぎていく感覚があって、焦りがどんどん強くなりました。
「このままでいいのか」
「何かしないといけないんじゃないか」
その気持ちがずっと頭から離れませんでした。
そしてその焦りが「何かしなきゃ」という行動になって、結果的に子どもを追い詰めてしまうこともありました。
でも今思うと、子どもも同じように不安だったはずです。
学校に行けない自分をどう思っていたのか。
これからどうなるのか。
子ども自身も整理がついていなかったと思います。
気持ちの整理がつくまで待ってあげればよかった。
でも当時の私は自分の不安を抑えることができなくて、その不安をそのまま子どもにぶつけてしまいました。
子どもも不安だったのに、さらに不安を上乗せしてしまっていたんだと思います。
具体的には、学校に行けない理由を問い詰めたり、ゲームを取り上げたり、感情的に怒ったり。
その経験については別の記事に詳しく書いています。
同じような失敗をした方は、こちらも参考になるかもしれません。
→「不登校初期に親がやってしまいがちな5つの行動」
→「不登校の子どもにゲームを取り上げたら悪化した|変わったのは家族の関係だった」
待てるようになったのは、自分が変わってから
少しずつ待てるようになったのは子どもが変わったからではなく、自分の状態が落ち着いてきたからでした。
余裕がないときほど、人は待てません。
不安が強いほど、コントロールしたくなる。
仕事を減らして、子どもと過ごす時間を増やして、少しずつ話を聞けるようになっていった。
最初はうまくいかなくても、関わり方を変えていく中で子どもたちも少しずつ変わっていきました。
私が思うのは、「待つ」ことができるかどうかは、親自身の心の余裕と精神状態が大きく関係しているということです。
余裕がないときほど、何かしないと不安になる。
精神状態が不安定なほど、子どもへの焦りが強くなる。
逆に言えば、親が少し落ち着いてくると、待てるようになっていきます。
そして「同じように『待つこと』に罪悪感を感じている方の」の前にこれを追加してください。
「待つ」ことができないと感じているなら、まず自分自身の状態を振り返ってみてください。
子どものことより先に、自分が追い詰められていないか。
自分に余裕がないのに、子どもに余裕を求めるのは難しいです。
私の場合はフルタイムの仕事と、不登校児のサポートの両立が私の力量的に難しかったので、まずは仕事を変えて仕事量を減らすことにしました。
そうしているうちに、焦りが少しずつ薄れていきました。
まとめ
「待つ」ことができないと感じているとき、それが本当に子どものためなのか少しだけ考えてみてほしいです。
私の場合は、自分の不安から逃げたくて動いていただけでした。
一回目の不登校のときは焦って動いて関係を悪化させ、施設に入れるところまでいってしまいました。
その経験については別の記事に詳しく書いています。
→「息子を施設に入れた話|限界だった私が下した決断と、後悔」
二回目は、少し待てた。子どもが行きたくなるまで、無理強いせずにゆっくり待とうと思えた。
あの時待てたから、今少しずつ前に進めているのかもしれないと思っています。
その違いは、子どもではなく自分の状態だったと思います。
不登校は長期戦です。
親が疲れ果てていたら、子どもに向き合い続けることはできません。
まず自分を整えることが、遠回りに見えて実は近道だと思っています。
「待つこと」は、子どもを放っておくことじゃなくて、自分の不安と向き合うことでもありました。
それに気づいてから、少し楽になりました。
同じように「待つこと」に罪悪感を感じている方の、少しでも参考になればと思います。


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