息子は発達グレーゾーンです。
知的な遅れはないけれど、「みんなと同じ」が難しい。
そういう子どもを育てながら、不登校とも向き合ってきました。
発達グレーゾーンの子どもが不登校になる理由。
正直、はっきりした答えは今でもわかりません。
でも振り返ると、グレーゾーンならではの難しさがあったと感じています。
生まれた時から、ずっと気になっていた
息子は重症新生児仮死で生まれて、一ヶ月入院しました。
退院後は脳波も問題なく、発達に大きな問題はないように見えていました。
ただ、赤ちゃんの頃からおもちゃで遊ばないことが気になっていました。
目線は合うし、あやしたら笑う。
でもどこか違和感があった。
歩き出した頃は手をつなぐのを嫌がったり、チャイルドシートから抜け出したり、買い物に行くと勝手に走っていなくなったり。
病院に相談しても「まだ幼いので発達に問題があるかは判断できないから様子見ましょう」と言われ続けました。
保育園でも落ち着きがなく、運動会や発表会の練習がなかなかできなかった。
「みんなと同じことをする」ことが難しい子でした。
日常のしんどさ
発達特性のある子を育てていて、日常の中でしんどかった場面がたくさんありました。
スーパーに行けば走り回る。
病院に連れて行けばじっとしていられなくて、あちこち動き回る。
娘も同じようにするから、私一人で二人を制御できなくて、外に連れて行くのが本当に苦痛でした。
周りの目も気になったし、毎回注意し続けることに疲れ果てていました。
そんな状態が小学校の高学年頃まで続きました。
診断がつくまでの長い道のり
5歳の頃に発達検査を受けましたが、知的に問題がないということで手帳の対象にはなりませんでした。
小学校入学前に、支援級か普通級のどちらに進級するかで悩みました。
誰もはっきりとした相談に乗ってくれなくて、すごく困った記憶があります。
最終的に支援級に入れることにしたのは、「みんなと同じ」ができない子を普通級に入れたら周りに迷惑をかけるんじゃないかという不安と、この子のペースで学べる環境の方がストレスにならないんじゃないかという考えからでした。
私の母に「この子は”普通の子”なのに、自分が楽したいから支援級に入れたんだろう。」と責められたことがあります。
支援級で少しずつ伸びていった
支援級に入ってからの学校生活はそれなりにうまくいっていました。
ただ、勉強は本人が嫌がってなかなか進まなくて、小3になってもひらがなを書くのが怪しかったし、カタカナはほとんど書けませんでした。
私の目から見ると知的にはそれほど大きく問題がなく見えていたので、本当は中学から普通級に入れたいという気持ちがありました。
小4で転校した先の学校の先生が私の気持ちをくんで、ひらがなもカタカナも書けるように、算数もできるようになるよう頑張ってくれました。
でも今思うと、その頑張りが息子には負担になって、学校に行きたくなくなってしまったのかもしれません。良かれと思った対応が、逆になってしまった。
グレーゾーンだからこそ、どちらにも属せなかった
不登校の原因が発達特性のせいなのかどうかは、今でもはっきりわかりません。
ただ、私なりに感じていることがあります。
年頃になってきて、普通級の子たちとの差を感じるようになったのかもしれない。
発達グレーゾーンは、はっきり診断がつく子とも、定型発達の子とも違う。
どちらにも属せない、中途半端な感覚。
それが辛かったのかもしれない。
あの頃の息子はすぐ怒っていました。
でも今思うと、家族関係が悪くて私も怒ってばかりいたから、息子もイライラしていたんだと思います。
発達特性のせいだけじゃなかった。
もう一つ、ずっと悩んでいたことがあります。
もっと上手く育てられていたら、発達特性もそこまで気にならずに育てられたのかもしれない、と。
息子が抱えていた気持ちについては、別の記事にまとめています。
今でもその答えは出ていません。
ただ、育て方だけが原因ではないと、今は少し思えるようになっています。
進路という壁
中2から担任と進路について相談を始めました。
中3になって本格的に考え始めたとき、選択肢は限られていました。
不登校からの週3日登校、ほぼ勉強もしていない状態では高校進学は難しい。
かといってそのまま就労も難しい。
担任から手帳の取得と支援学校への進学を勧められました。
過去に二回、発達テストで基準を上回ってしまい、手帳が取れなかった経緯がありました。
でも中学生になると判定基準も上がるから取得できることも多い。
一度試してみてと言われ、試してみたらギリギリで判定内に入り、手帳を取得できました。
進路について周りに聞かれると、私は隠さず支援学校と伝えています。
相手が少し気まずそうにすることもあるけれど、関係ないと思っています。
息子が息子らしくいられる環境にいてほしい。
それだけです。
息子自身が支援学校に進学することをどう思っているかは正直わからないです。
選択肢がなかったから選んだ、という部分もある。
でも今は進学に対してすごく前向きになっています。
支援級にいながらも、普通級との違いに劣等感を感じていた部分はあったと思います。
支援学校という、同じような特性を持つ仲間がいる環境に移ることで、息子が息子らしくいられるようになるんじゃないかと思っています。
今の息子を見て思うこと
今の息子は、あの頃が嘘みたいに落ち着いています。
怒ることもほとんどなくなりました。
支援学校の高等部に進学して、自分のペースで過ごしています。
発達グレーゾーンの子を育てていると、「普通級か支援級か」「どこまで伸ばすか」「どこまで合わせるか」という判断をずっと迫られます。
今でも迷うことはあります。
ただ、子どものペースを無視して無理に引き上げようとしたことが、結果的に息子を追い詰めてしまったと感じています。
一番後悔しているのは、息子のありのままの姿を受け入れてあげられなかったことです。
悪い意味で期待しすぎてしまった。
普通級に入れたい、もっと伸ばしたい、という私の気持ちが先に立っていた。
卒業式の日、息子が言いました。
「みんなと話したかったけど、話せる子がいなかった。別に卒業しても寂しくない」
その言葉を聞いて、すごく辛くなりました。
私がもっと息子のペースを大事にできていたら、違う時間を過ごせていたのかもしれない。
そう思いました。
息子には、「高校で自分のペースで過ごせたら、卒業式の時には離れたくないと思える友達ができるかもしれないね」と伝えました。
今だから思えることだけど、あの頃の息子に必要だったのは、もっと伸ばすことより、今のままでいいと伝えることだったのかもしれません。
同じように悩んでいる人の心に、何かひとつでも残るものがあればいいなと思っています。
娘の不登校については、また違った形でした。
同じように悩んだ記録を、こちらにまとめています。


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