子どもが「今日は学校に行きたくない」と言うことが増えていったあの頃。
正直、何が正解なのか全く分かりませんでした。
休ませるべきなのか、
背中を押すべきなのか、
話を聞くべきなのか、
そっとしておくべきなのか。
調べれば答えが見つかると思って、とにかく情報を探していたことを覚えています。
その中で、今思えば、
間違っていた行動もたくさんしていました。
不登校の初期に私がしてしまった失敗は、こちらにまとめています。
最初は「休ませていいのか」が分からなかった
最初に子どもが学校に行き渋りだしたとき、私は「今日は休ませてしまっていいのか」で悩みました。
最初は月に1~2回程度で、「今日だけならいいよ」と学校を休ませていました。
何日も行き渋りが続いたとき、「やっぱりこれは不登校なんだ」と少しずつ現実を認識していった気がします。

調べると「無理に行かせてはいけない」と書かれている記事も多く。
そうなのかもしれないと思う一方で、このまま休ませ続けたら、本当に学校に行けなくなるんじゃないか。
そんな不安が消えませんでした。
その結果、私は無理に学校へ行かせようとしてしまったことがあります。
もちろんうまくはいきませんでした。
そもそも私自身、学校は体調不良などの理由がない限り絶対行くもの。
学校を理由もなく休むのは甘えだという考えが強かったと思います。
毎朝の「今日も休みます」連絡が地味にしんどかった
不登校が続く中で、地味にしんどかったのが毎朝の学校への連絡でした。
行けないってわかっているのに、今日も休みますって連絡しなくてはいけない。
その義務感が、
毎朝のしかかってくる感じがありました。
仕事もあって忙しい朝に、また同じ連絡を入れる。
正直、しんどいなと思う日もありました。
でも連絡しないわけにもいかないから、毎朝こなしていた。
それだけで少し消耗していたと思います。
学校から入る連絡もすごく嫌でした。
着信が入った時にスマホの画面に「学校」の文字を見るとすごく気が重くなった記憶があります。
不登校の親の大変さって、大きな出来事だけじゃなくて、こういう地味な積み重ねにもあると思っています。
情報を調べるほど、正解が分からなくなった
子どもが学校に行き渋りだして、私はとにかくインターネットでいろいろな記事を調べました。
「不登校 初期」
「学校 行きたくない 子ども」
そんな言葉で検索していたと思います。
調べると、
「無理に行かせてはいけない」
「まずは休ませてあげてください」
という情報が多く出てきました。
それを読んで、そうした方がいいのかもしれないと思う気持ちもありました。
でも一方で、このまま休ませ続けたら本当に学校に行けなくなってしまうんじゃないか。
そんな不安も強くて、何が正しいのか分からなくなっていきました。
不登校の子どもの居場所作りのためのフリースペース利用などの情報も出てきましたが、
仕事がある私には送迎は出来ないため利用できませんでした。
また、金銭的な負担が大きいサービスも多かったです。
何度も何度も同じような情報を調べては情報量の多さにさらに混乱していました。
誰かに話せなかった
学校の話になっても、学校に行けていないことを伝えるのがとても嫌だった。
話した瞬間に気まずそうにするあの空気が苦痛でした。
何気ない会話の中で
「学校どう?」
と聞かれるだけで、少し身構えてしまう。
うまくごまかそうとしたり、話題を変えようとしたりしていました。
正直に話したときもありました。
でも、そのあとの微妙な沈黙や、なんて返していいか分からない感じが伝わってきて、
余計にしんどくなりました。
それに当時は、不登校は私の育て方が悪かったからだと思っていました。
だから話すことで責められる気がして、余計に誰にも言えなかった。
「ちゃんと育てていない親だと
思われるんじゃないか」
そんな不安もずっとありました。
孤独を抱えながら、毎日必死でした。
子どもに時間をかけてあげたいのに、仕事をするだけで精一杯で余裕なんてどこにもなかった。
専門家に相談しても、答えは出なかった
しばらくして、一人で抱えきれなくなっていろんな人に相談しました。
放課後デイの職員、相談員、子どもの発達相談で通っていた心療内科の先生。
思いつく限りの人に話を聞いてもらいました。
でも、はっきりとした答えは出なかった。
親身になって聞いてくれる人は誰もいなかった。
息子の薬を増やしてみてもうまくいかなくて、八方ふさがりだと感じていました。
その頃から、私に呼吸がしにくい感覚が出始めました。
胸やのどが詰まる感じがするのです。
病院でのどをカメラで見てもらっても、胸のレントゲンを撮っても問題なし。
ストレスからくる症状だったのかもしれないと今は思っています。
治療はしないままですが、今でも息苦しくなることが時々あります。
子どものことで頭がいっぱいになり、体の方も限界に近づいていた。
あの頃の自分がどれだけ追い詰められていたか、今思い返すと胸が痛いです。
将来のことも、自分のことも、全部が不安だった
その頃の不安は、ひとつではありませんでした。
このまま学校に行けなくなったらどうしよう。
引きこもりになってしまうんじゃないか。
そんな先のことまで、次々と頭に浮かんできました。
そしてもうひとつ、ずっと心のどこかにあったのが、
「私のせいなのかもしれない」
という気持ちでした。
離婚したこと、新しい環境に子どもを連れて行ったこと、何度も転校させてしまったこと。
私が自分の人生に子どもを巻き込んで、子どもの人生を変えてしまった。
そう考えてしまうことがありました。
子どもへの罪悪感が重なって、当時はどこにも気持ちの置き場がなかった気がします。
仕事が終わっても、
家に帰りたくなくて仕方がなかった時期がありました。
家に着いても、車から降りられなかった。
そのまま時間だけが過ぎていくこともありました。
子どものことが心配なのに、家に帰ることが怖かった。
今思うと、それだけ追い詰められていたんだと思います。
今、あの頃の自分に思うこと
子どもの性格の違いもあるし、すべてが私のせいだったかどうかは正直わからない。
でも、私の都合で子どもたちを振り回してしまったことは事実だし、
過ぎてしまった時間はもう戻りません。
今は、子どもが自立できるように。
子どもたちがそれぞれ自分らしく生きていけるように、
できるだけサポートしていこうと思っています。
不登校になった直後、何をすればいいのか分からなかった私へ。
答えが見つからなくて当然だったと今なら思います。
正解なんて最初からどこにもなかったから。
それでも、あのときは必死でした。
そのあと、どうやって関わり方を変えていったのかは、こちらに書いています。


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